アントワープ便り II (1)
c0067238_20182465.jpg 今年もアントワープのルネサンス音楽祭「ラウス・ポリフォニエ」に行ってきた。今度はカペラのメンバーがいっしょだ。International Young Artists' Presentation というのに選ばれて音楽祭に出演することになったので、ついでに、先立って行われるレベッカ・ステュワート師のワークショップにグループとして参加、そこでカペラとして初めて欧州で演奏を披露することになった。私を含めて8人の歌手に事務局の4人が同行、にぎやかで楽しい旅になった。

◆ワークショップ
 フェスティヴァルのテーマが Musica Britannica 英国の音楽ということで、今回のレベッカのワークショップでも英国のポリフォニーが扱われることになった。私たちが演奏した曲は2曲、オールド・ホール写本にあるアレン Aleyn のグロリアと、イートン・コワイヤ・ブックにあるデイヴィー Davy のマタイ受難曲。
 カペラにとっては全く新しいレパートリーなので、これはいい勉強になるだろう、ということだったのだが勉強どころか、実にすばらしい曲で大変おもしろかった。3日目に行われた演奏はレベッカの力強い指導のおかげもあって、なかなか感動的なものになったと思う。

c0067238_20213084.jpgレベッカ・ステュワート女史(右端)とワークショップ参加メンバー

長三度の愉悦
 去年のアントワープ便りでは長3度の危険について述べた。ところが同じ15世紀ではあっても、英国の音楽では純正にとるべき長3度がこの時代の英国人の音に対する感性の根幹にあるようだ。受難曲の最初のポリフォニーの部分からもう長3度で始まる。もちろん、多声音楽の旋律のからみは随所にあって、受難の物語のそれぞれの場面で言葉の意味を際立たせる動きはつくっている。しかし、低音を基盤にした明るい和声が英国の音楽をある意味で歌いやすく、楽しいものにしている。
 もちろん、受難曲はドラマに満ちている。そしてデイヴィーの受難曲はその劇性を音によって表現したもっとも初期の作品に属するだろう。だから、同じ長3 度でもその意味は様々だ。「十字架につけろ」の長和音と百卒長「まことにこの人は神の子」の長和音はおのずと違った響きを感じさせるのであり、当然そのように意識して演奏する。歌っていてそれはすばらしい感覚で、フランドルの曲の時には見せないような声をカペラのメンバーもつい出してしまったりするほどだった。
 ただ、もしジョスカンが受難曲を書いていたら、ぜんぜん違う旋法を使っていただろうな、とは思った。まあ、あたりまえだが。

英国式ラテン語の発音
 ワークショップで学んだことは多かったが、結構苦心したのが英国式のラテン語の発音だった。
 歴史的にみれば、ラテン語の発音に「標準」あるいは唯一の正しい発音、などというものは存在しないのであり、各国、時代によって発音の仕方、イントネーションなどが大きく変わることは明らかである。現代であっても、同じく正しい「ヴァチカン式・イタリア式」の発音をしている、と称しているたとえばドイツ人とフランス人の神父様が典礼の文章を読むのを聞くだけで、「正解」は人によって違うらしい、と思わざるを得ないが、国別、時代別に実証的に詳しく述べている研究書を読んでみると、その多様性に驚かされる。いずれにせよ、それぞれの時代、地域の日常的な母国語がラテン語の発音を決定づけていることは疑うことができない。
 発音とは言語を音にする仕方であり、それはしたがって、声楽の本質的な要素のひとつである。旋律があってそれに歌詞をつける、のではなく、言語の響きがあって、そこから旋律が生まれてくる。もちろん、ルネサンスの写本から作曲者の意図を汲み取ることは容易ではないし、個々の旋律と歌詞の関係が常にはっきりしているわけではない。同じ旋律線をまったく異なる言葉で歌うこともある。しかし、言語的視点から音楽をとらえたとき、そして作曲者や歌手がしていたと考えられる発音の仕方で実際に歌ってみたときに、それぞれの言葉の特性が曲の作りに大きく作用していると思わざるを得ないことが多い。
 私たちは15世紀フランス式の発音でフランス・フランドルの音楽を歌ってきてこのようなことを確信するにいたっている。今回はカペラにとっては初めての英国式ラテン語ということで、文献を読み直して、それぞれの歌手に徹底できるよう相当練習を積んで出かけた。基本的なところは大体準備していった通りでよかったのだが、さすがに英語を母国語とするレベッカのアイデアは私たちの思いもよらないところに発展し、私たちは戸惑いつつもさらに深く学ぶことができた。
 子音をドイツ語などと同様、強く外に吐き出すように発音するところが、まずフランス風の軽くやわらかい子音に慣れ親しんでいるカペラとしては大変やりにくい。しかし何といっても面倒なのが、変幻自在の母音だ。アクセントのある音節とない音節で、単語の中か語尾かによって、また長母音か短母音かによってそれぞれ発音が異なる。さらに厄介なのは、15世紀から16世紀にかけて英語の発音が大きく変化していったということがあり、15世紀前半の曲と1500年前後の曲を歌うのに発音を変えなければならないということだ。例えば gratia は(当然正確には表せないが便宜上カタカナで記してみると)「グラーシア」から始まり、「ラー」の母音が英語独特の「エ」に近い開いた音(cat, sad, etc.)に変化、16世紀にはほとんど「グレイシア」になっていく。同様に「マリア」は「マライア」、「サルヴェ・レジーナ」は「サルヴィー・レッヂャイナ」。
 そして個々の母音、子音をどう発音するかということ以上に大事なのは、イントネーション、つまり文章全体の抑揚、流れ方だ。フランス語がしり上がりに鼻に抜けながらリエゾンし、つながって流れていくのに対して、英語は響きの表裏、強弱をはっきりつけながらリズミカルに弾んでいく。それを感じながら歌ってみると、音楽が水を得た魚のように生きてくるのがわかって、とても楽しい。

c0067238_20233743.jpg地元のテレビ局がカペラの取材にきていた。レベッカの指導をうける望月寛之

レベッカの流儀
 古い音楽の演奏法については、わからないことのほうが多いといえるだろう。もちろん発音もその例外ではない。わかっていることから類推しながら最善を尽くすしかない。とはいえ言葉の場合は同じ民族が現在も500年前とほぼ同じ言語をしゃべりつづけている、という利点がある。ラテン語を英語風に発音するとき(危険は承知のうえで)ある程度参考にしていいのは、ラテン語から派生した英単語が現在どのように発音されているかということだ。
 ワークショップの間に、レベッカがある英語の単語を思い出して、ラテン語の発音を修正したことが何度かあった。実際に口に出して発音してみながら、うん、この感じに違いない、と判断していく。milites は military から推測して、「マイリテス」ではなく「ミリテス」(ただしすべての i は sit のようにいくらか曖昧な音になる)、vinum は wine があるので「ヴァイヌム」。基本的な原則はあるのだが、このように現代英語から、あるいは英語を母国語とする人の言語感覚から対応していったほうがいいケースもある。
 レベッカは何か新しい発見をすると、練習中だろうが本番直前だろうが、よりよい方にどんどん変えていく。特に言葉の多い受難曲は大変。3日間のレベッカとのセッションの後に本番を歌わなくてはならなかった二人のエヴァンジェリストにとっては試練となってしまった。
 言葉だけではなく、もちろん音楽自体、歌いながら体がどう感じていくかをレベッカはとても大事にする。音楽史的・言語学的知識を出発点としながらも、楽譜や言葉、その意味、声・息・体の使い方、アンサンブルしたときの響きあいから音楽の本質を一人一人が感じとり深めていく、そのプロセスはすばらしい。彼女自身を含めてみんなが成長し、変化していく。その変化は、実はより自然な状態への回帰にほかならない。自然になることによって本質的になっていく。その都度新しい発見をしながら本来の姿に帰っていく。その作品の本来の姿、歌う人の体と意識の自然な状態。だから「どう感じるか」が大切だし、そこに拠って立つことができるのだ。
 一般的にクラシックの声楽家は、オペラ劇場やコンサート・ホールで、やわらかく充実した大きな響きで歌えるように、さまざまなテクニックを身につける。しかし、古い音楽の演奏に際しては相当違ったアプローチが必要だ。それは「より自然な状態」になろうとすることであるという気がする。
 今回言葉に関連して、レベッカがカペラの歌手と取り組んだひとつに視点に口の使い方があった。クラシックの歌手といってもその人によってに大きな違いはあるが、普通は発声のために口、唇やその周辺の動きをいろいろと工夫する。それは歌うための工夫であり、普通に会話するときには決してしないことも多い。しかしまろやかで豊かな音を出すためには効果的なことも、自然な言葉の表現を阻害してしまう場合もある。そしてそれは体・息の使い方とも関連しており、ある種の力み、緊張を生み出し、言葉の流れ、そしてそれを土台にできている古い音楽の「自然な」動きを止めてしまう。
 会話をするときの自然な状態に口の動きを戻すこと、そして誇張せず、萎縮もしない自然な息使いを可能にするように、体を柔軟な状態にしておくこと。そのように心も自然に、柔軟に、そしてオープンにすること。そうすると息は吸い込まなくても入ってくる。絞りださなくても声は響いてくる。信頼して待つ、もうその瞬間に音楽は天から下ってきて、そして流れ始める。

c0067238_20244847.jpgワークショップの会場となった教会の外観

つづき
by fons_floris | 2002-09-01 00:00 | カペラ
<< 【カペラ】Ottava 〜私の...