旅の終わりは、今回もオランダのいつもの修道院へ。折しもカーニヴァルの季節、オランダでも南に行くに従って、仮装をしてはしゃいでいる人達が、電車にもわいわい大勢乗ってくる。中世の騎士風や、修道僧、ピエロ、髪から顔から派手な黄緑色に染め上げたおじさんやら、バナナ・マンやら、もうめちゃくちゃ。かなり大柄なオランダ人のお姉さんがミツバチの妖精に扮していたが、あれにはちょっと引いたなあ。アムステルダムに10年も住んでいて、ついぞ出くわしたことはなかったが、それは北の方は改革派が強いので、アムステルダムなどにはそのような習慣がないから。向かう修道院はオランダ南端にあり、そちらの方はもうほとんどカトリック、カーニヴァルの町ケルンにも大分近くなる。
南のブラバントやリンブルクのオランダ語では Vasteloavond と言って、vasten 、つまり断食の前夜、を意味する。間もなく灰の水曜日、その後は御復活の日まで悔恨と断食の季節に入る。もちろん、何も食べないわけではなく、各自、何か小さくとも犠牲を捧げるようなことを決めて、行う、というのが信者の習慣となっている。チョコレートは食べないとか、食事のたびにパン一枚分は、バターやチーズを付けずに、パンだけで食べて、貧困に苦しむ国のことを考える、という人もいるようだ。もっとも、ただはしゃぐだけの人達は水曜日になっても、「前夜祭の続き」と称してオランダ名物ニシンを、まあ一応肉は食べないという意味で、ぺろりと平らげて、また飲み屋に繰り出して一杯やるのだそうだ。やれやれ。 修道院でも前夜祭風に、火曜日の昼食は大祝日の食事の内容、普段は出ないビールやら豪華なデザートやらが振る舞われ、食後にはこのような日におきまりの、滞在中のお客も一緒に、葉巻モクモクの会となる。パリで毎日おいしいワインを飲んでいたので、修道院では必然的に質素に、すこし身を(胃を)浄めようと考えていた当てが見事に外れる。 しかし修道院の状況は、前回よりさらに寂しくなっていた。20年以上も前に初めてここを訪れた時からずっと、接客神父としていつも迎え入れてくれていたファン・ベルクム神父が、ほんの2週間ほど前に亡くなっていたことを知らされた。敷地内にある墓所に行ってみたが、墓石はまだなく、何年か前に亡くなった、製本家のラウンレンチウス兄弟の墓石の隣に、土がこんもりと盛り上がっていた。また、いつも聖歌の本などを注文して送ってもらっている修道士は、声帯を病んでまったく声が出ないばかりか、足取りも危うく、心身共にかなり衰え果てているようだった。ほとんど仕事もできず何週間も前に私が注文した聖歌集もまだ発送前で、倉庫の隅に積まれたままだった。人手が足りず、引き継ぎができないのだという。やはり新人は一人も加わっていない。もう20年以上も誰も入ってきていない。詩編を唱える声はばらばらで、かろうじて成りたっているかという具合。 ところで、パリでの御ミサは素晴らしかった。古い典礼のトリエント・ミサをやっている教会があるから是非行くように、と、知人に勧められていた。この方は妹の日本からの友人で、現在パリ大学に留学して中世文学の研究をなさっている。そのお友達の、完全に日仏バイリンガルの研究者の方も誘ってくれて、3人で、中世の錬金術師ニコラ・フランメルの家を改造したというレストランで、楽しく昼食を共にしたのだった。中世ラテン語の発音の話になり、ソルボンヌでは伝統的なフランス式の発音でラテン語を読むのだという。詳しく聞いてみると、何のことはない、一般的に「古典ラテン語」式、といわれている発音で、私たちが行なっているフランス語式とはまるで異なる。pacem はパーチェムでもパセンでもなく、パーケムなのだそうだ。フランス「語」式ではなく、フランスのアカデミックな伝統的ソルボンヌ式、ということなのだろう。 それで、日曜日にサン・ジェルマン界隈の rue des Bernardins にある Saint Nicholas de Chardonet 教会に出かけてみた。10時半の荘厳ミサに行ったのだが、その前のミサが終わるところで、聖堂の入り口は次のミサに参列する人達であふれかえっていた。ゴシック様式の大教会の中も、すべての席が埋まって一杯の人、オルガンの壮麗な後奏とともに入れ替えに席に着いたが、そそれが次のミサの前奏ともなって、すぐに司祭が大勢の子供の侍者と共に入堂してきた。侍者を務める小さな子供達も立派な祭服に身を包み、身のこなしもしっかりしている。見回すと、若者、赤ちゃんを連れた若い夫婦からご老人まで、いろいろな年齢層の信者たちが参列している。使い古したミサ典書に熱心に見入る人達も少なくない。 神父は教会中央にある大きな祭壇の方を向いて司式して(この形式を「東を向く」 ad orientem というのだそうだ)、男声の聖歌隊が、オルガンの伴奏がすべて付いているが、グレゴリオ聖歌をとても立派に歌う。混声の聖歌隊もあり、ルネサンスのモテットと、近代的な合唱曲をそつなくこなしていた。オルガンは18世紀の歴史的な楽器で、なかなかの音がする。御聖体は皆、聖域前に横一列に跪き、手ではなく舌で受ける。信者の多くはラテン語の聖歌を暗譜で歌い、唯一フランス語だった美しい閉祭の歌は、オルガンの大きな響きと共に聖堂内にこだまする。その中をゆったりと進む司祭と侍者の行列が自分の席の近くを通るたびに、皆一斉に十字を切る。なんだか19世紀のフランスにタイムスリップしたかのような感覚になった。 このあともミサが続いたようで、ミサ後も入り口は席を取ろうと待ち構えている人でごった返していた。もちろんノートルダムのような観光客はまったくいない。純粋に、ミサに来た地元の人々だろう。それも、復活祭やクリスマスのような大祝日ではない。グロリアも歌われない、灰の水曜日前のごく普通の日曜日のミサだ。 ヨーロッパの古い教会には、会堂の側廊にいくつもの小聖堂が付いている。パリでも多くの教会の小聖堂はもう使われていないが、ここではどの小聖堂の祭壇にもすべて新しい蝋燭が立てられ、きちんと機能している模様だった。観光用の立て札や、様式にそぐわない現代的な彫刻、けばけばしいステンドグラスなども一切なく、すべての内装が調和している。 現代フランス社会の中でも、カトリックの伝統はそのまま生き続けているようだ。古い典礼を守っているこの教会が例外的なのかもしれないが、伝統の力、その崇高で強烈な説得力を、建築、音楽、典礼、そして人々から総合的に感じ、それはそれはかつて味わったことのない感動だった。 オランダの、ベネディクト会の修道院を、パリの大教会のミサに比べるわけではないが、その感動のあとだったので、寂しさはひとしおだった。でも、修道士さんたちが自分たちでも言っていたように「老いた小さな群」になっていっても、かれらは聖ベネディクトの会則通りの修道生活を、何ひとつ省略することなく、淡々と、きちんと守り続けている。聖務日課の中で Alter alterius onera portate 「お互いに担い合いなさい」と毎日唱えるが、元気な兄弟が、弱った兄弟の分を担いながら、この共同体を支え、生活を営んでいる。 日本に発つ朝のミサは灰の水曜日のミサ、私も修道院長に大きな灰の十字を額に印してもらった。人は塵から作られて、また塵に帰る。その日まで、私も淡々と、自分の道を歩んでいこう。今回の欧州滞在ではとてもすぐには消化しきれないほどの豊かな体験をすることができた。そして、これまでの人生半世紀の間にたくさんの恵みを頂いた。それを、共に音楽する人達と共有し、日本で豊かな実を結んでいくことができるよう、頑張ろう。 前の記事:フォーレのレクイエム *
by fons_floris
| 2011-03-09 23:00
| 花井哲郎
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