【花井哲郎】ミッデルブルグ便り2009(3)
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7月17日(金)
c0067238_1554258.jpgシンポジウムの翌日はすぐに旅立たずに、丸一日ミッデルブルグにとどまり、シンポジウムのことを整理して書いたりしながら、熱冷まし。ほとんどオーバーヒートだったからなあ。折しもムール貝(オランダ語でモッセレン Mosselen という)祭りということだったので、夕食はひとり広場でムール貝をたらふく食べる。その次の日にファールス Vaals にあるいつものベネディクト会の修道院へ。午前中に到着したかったが、時間的に厳しいのでゆっくり行くことに。アカデミーに鍵を返してから8:59発の電車で、Roosendaal, Tilburg, Eindhoven と3回も乗り換え、電車の遅れもあって乗り継ぎが一回うまくいかず、結局12時過ぎにマーストリヒト Maastricht 着。駅のレストランで Sliptong(舌ビラメか?)を食べてからバスに乗る。アーヘン行きと、ファールス行きが同じ線に統合されていて、バス停も変わっていたようで、修道院に近い Lemiers で降りようと思っていたが、バス内の表示に、昔はなかった Benedictusgerg という修道院名のバス停が表示になったのであわててストップを押して止めてもらう。

玄関で会った修道士さん達が口々に「久しぶりだね」と言ってくれてうれしかった。よく覚えていないがどうも6、7年ぶりになるか。一見何事も変わっていないようで、しばらくいるとほんの数ヶ月ぶりのような錯覚に陥る。よく通ったもんなあ。隅々まで知り尽くしているから。それでも部屋でお湯が出るようになっていたり、シャワーがきれいになっていたり、自動ドアが付いていたり、庭に池を作っていたり、火災報知器がつけられていたりここかしこに改善が見られる。





しかし大きな変化は聖務日課の声に如実に表れていた。高齢化がかなり進み、修道士の数も減っている。詩篇を歌う声は弱々しく、中でも若い方の修道士二人ほど以外の声はほとんどかすかにしか聞こえてこない時もある。早朝の祈り Matutinum では参加者がさらに少ないので、左右で交唱できず、先唱者とその他という形で交唱する日もあった。話を聞くと、外部から民間人が庭仕事などいろいろな作業の手伝いをしに来てくれるほか、新たに常勤で人を雇うようになったという。部屋のベッドは昔はきれいに作ってあったが、シーツ類がおいてあって客が自分でやるようになっている。朝は修道士のノックと Benedicamus Domino という声で目覚め、あわてずにDeo gratias と答えられるよう、心して寝たものだったものだが、今では誰もやってこない。起こしてもらう印だった、ドアにかける小さな十字架も取り去られていた。希望者には目覚まし時計をお貸しします、と注意書きあり。食堂ではかつては、客は修道院長の前、部屋の真ん中のテーブルに座ったが、今回は修道士と同列の、本来は修道士が座る壁際の席に案内された。庭の途中にある修道士の墓地に立ち寄ると、墓石には名前はないが、没年が記されている。最近のものは2001年、2003年、2005年。その間新人は入ってきていない。あるいは定着せずに去っていった。2005年に亡くなったのはブラザー・ラウレンチウスだという。とても大柄な修道士で、製本工房で働いていた。私の愛用のグレゴリオ聖歌集などを何冊か、革張りで頑丈に美しく製本してくれた人だ。

1980年代には30人以上いたが、90年代は20数名、現在は20名を切っている。そのうち3人は歩行器につかまりながらで、行列には参加できず、もちろん立ったり座ったり出来ないので、詩編もずっと座ったままで、声を出している様子はない。このままでは10年後、20年後には立ちゆかなくなるのではないか。その時どうするのだろう。廃止されてしまうのか。帰るところを失ったら私はどうしよう。以前と変わらぬ鐘の音にも不安な、悲しい余韻が漂っていた。

7月19日(日)
ちょっと文学的にと気取って、そう書いてから、あとから気がついたが、この鐘の音、やはりどこかおかしいと思ったら、何と自動化されていた。以前は鐘楼の下に垂れ下がっているいくつもの綱を思い切り引いて、鐘を鳴らしていた。祝日には何人もの黒衣の修道士が頭巾をしたまま壁に向かって無心に、いくつもの鐘を同時に鳴らすその姿を見ながら、間近で聴く壮麗な音に、体中で浸っていたものだ。ところが、その綱がなくなっている。一日の最後に3回ずつ鳴らす鐘などは、たいてい打ち損じがあって、3回だけならすのは難しいのだろうと思っていたが、今では完璧に、全く同じ強さで3回鳴る。ミサを告げる鐘も大変力強いが、やはりこれは機械が操る音だったのだ。人手不足で仕方ないのだろうが、弱々しい聖歌の声と対照的で、やはり感傷ではなく、この余韻はもの悲しいわけだ。

修道院に何度も滞在することで、私は多くのことを学んだ。グレゴリオ聖歌や典礼の実際的な知識を得ただけではない。心の持ち方、魂のこと、そういうことをじっくり想う時間と空間、そして空気が、ここにはある。また、修道院の生活は、俗人の日常にも直接役に立つような示唆に富んだものなのである。
ベネディクトの精神は、その「戒律」に表されている。そしてその戒律の文言は、そのまま修道院の生活ににじみ出ている。旧約聖書の「律法」もそうだが、戒律といっても、何も人をがんじがらめに縛り付けるための、罰則のようなものではない。共同生活の中で神を求め、神に心から仕える、修道の生活が心おきなくできるような、道しるべなのだ。建物やその中にあるもの、生活のリズムや様々な仕事、そのすべては聖務日課とミサという典礼を中心とした祈りと霊的探求のために整えられており、余計なものは一切ないが、必要なものはすべてある。そしてその原点にあるのがベネディクトの戒律だ。人里離れて狂信的にただ祈り続け荒修行をしているのではない。あるいは漫然と日々を過ごしているのでもない。きちんとした規則があり、生活の仕方があり、それを培ってきた伝統があり、それに則って、実にゆったりとしたペースで、しかし途切れることなく、しっかりと地に足をつけて、美しい祈りの声があげられていくのだ。典礼中の一つ一つの動作にも、食事の用意にも、歩き方にも話し方にもほとんど様式化した徹底さがあり、どんな些細なことでも、注意深く丁寧に心を込めて行う。
つまり、戒律によって示された型で、共同体に鋳型にはめるかのように形を作ることで、精神と魂の飛翔が可能となっている。これは神に向かって人を解き放つための戒律だ。もちろん、東京の音楽家としての慌ただしい生活とはかけ離れている。というよりは正反対だから、何としてでも今回今一度この空気の中にいたくなってやってきたのだが、本当は、そのほんのわずかなエッセンスだけでも、日々の生活のなかで見習いたいと思い続けてはいる。

そういえば、同じようなことを次元と場面は全く違うが、ミッデルブルグのシンポジウムでも繰り返し耳にしたなあ。ジョスカンの作品の何が優れているかという議論の中で、多くの作品の中に、カノンや反復といった一定の制限、枠組みがあらかじめ設定されていて、そのようにして形作られた「自由な」空間の中で感動的な音楽が生まれてきているという話だ。ただ自由奔放に旋律を紡ぎ出していくのではなく、限られた素材を繰り返し、しかし天才的に創意工夫に富んだやり方で使って、美しい作品を構築していく。自分を制約することで、かえって輝く。私がジョスカンと修道院に惚れ込んでいるのは、同じ理由だったのかもしれない。ちょっとこじつけかな。偶然の一致かな。でもこれで話がうまく完結してしまったので、久しぶりの「便り」はこれでおしまいにしよう。そして私も東京で飛翔できるよう、日々の生活、音楽活動の中に、ゆとりの様式美を追求していこう。
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by fons_floris | 2009-07-29 15:02 | 花井哲郎
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