7月12日(土)
ジョスカン・シンポジウムに参加するため、オランダへ。KL862便11:15発でアムステルダムへ出発。同日16:10着だがアムステルダムのスキポール空港 Schipol の電車の駅にたどり着いたのは16:50ほど、狙っていた16:43発のミッデルブルグ Middelburg 直通の電車は乗れず、ローゼンダール Roosendaal で乗り換えの便。スキポールからは2時間半もかかる。予定より遅くなるので、お世話をしてくれる学生ジェイソン Jason 君に電話を入れておく。前回使った残りのテレフォン・カードを持ってきていたので、すぐ電話できてよかった。まああとで気づいたけど、今回はヨーロッパでも使える携帯電話を持っているので電話やメールが普通に出来るのだったね。 ミッデルブルグに到着、迎えに来るはずのジェイソン君が駅に見あたらなかったので、外に出てみると駅前の運河に渡した橋がちょうど開いている最中で、船が何艘も通過していった。いきなり、のどか。橋が開通すると自転車に乗って来たジェイソン君が声をかけてくれて、そのまま、演奏会場でシンポジウムの会場でもあるローセフェルト・アカデミー Roosevelt Academyに向かう。ここはゴシック様式の旧市庁舎で、ベルギーにもよくある大きな塔を持つ大変豪華で美しい建物だ。ミッデルブルグはオランダ南西部、海沿いのゼーラント地方の中心都市。 シンポジウムの前夜にあたるこの日の演奏会はライプチヒの若手グループ、カルムス・アンサンブル Calmus ensemble、各声部一人ずつの編成で、ジョスカンのミサ《ラソファレミ》の一部や Inviolata などのモテットを歌う。若々しいが安定して美しい声の、整ったアンサンブルは聴いていて大変心地よい。表情は控えめ、時々セクション全体をソット・ヴォーチェで繊細な響きを出すくらい、それも小さければ小さいままで、少々一本調子。アンコールに現代のタヴァナーの曲をやったが、古いものから現代まで何でもやるグループらしく、古いものを得意としているわけではないということ。今後に期待というところか。私としてはそもそも何でもかんでもやる人たちの気が知れない。ひとつのジャンルだけだって深めるのは大変だし、それぞれに異なるテクニックが要求されるからだ。何でもやると、中途半端な音楽になることが多い気がする。女声一人、男声4人の5人編成で、4声の曲も声部を振り分けながら5人で歌っているのがちょっとおもしろかった。superius と contratenor が音域がひっくり返っているところで、パートも変えて女声が contratenor のパートを歌うようにしていたのは、どうかとは思ったが、まあ演奏効果ということでは正解でしょう。 曲間に、確か私も CD で聴いたことのあるアメリカのリュート弾きジェイコブ・ヘリングマンの独奏あり。石造りの会場によく響いてはいたが、こちらも淡々としており単調で、弾き損じも結構あり、そうなると立派な歌と比較して、ともすると貧弱にも聞こえてしまう。組み合わせがよくなかったか。別の演奏会にも出演したのでシンポジウム中も会場に出没していたが、その演奏のごとく物静かでほとんど誰とも話をせず。 会場で真っ先に会ったのがレベッカのところでしばらく一緒だった音楽学者のユープ Joep van Buchum。おなかはますます成長して相当な巨漢になっている。そろそろダイエットをしようかと思っていた気持ちが一瞬で吹っ飛ぶ。「Tetsuro!」と 声をかけてきてくれたのは去年ワークショップで久しぶりに再会したウィレム・モック Willem Mook、彼のおかげで復元されたジョスカンのモテット Obsecro te, domina を演奏したばかり。 驚きの再会はヒレス Gilles Michels、ロッテルダム音楽院合唱指揮科の同期で2、3人のグループで、ずっと一緒だった。結婚式のパーティーにも出席して、その時贈ったバッハの小さな胸像を今でも大事に持っているとのこと。何と、今年からミッデルブルグで行われることになったクルト・トーマス合唱指揮講習会の指導者になっていた。この伝統ある講習会には学生の時は彼と一緒に受講したものだった。シンポジウムと同じ建物で同時開催ということで、これから毎日顔を合わせることになる。卒業後は接点がなかったから、連絡も取り合わなかったなあ。相変わらず笑顔満面で元気よく話す。これはみんなに好かれるだろうなあ。まじめで手際もよく、指導者にもってこいの性格だ。 ヒレスとは結局シンポジウム2日目の夜、3つ目の演奏会のあとに二人でビールを飲み、語り合った。相変わらずライデン、ユトレヒトの学生合唱団、オケの指揮をしていているとのこと。彼の音楽教育科時代の指導教官でもあった、クーン Koen Vermeijの話になり。クーンは私の素晴らしいクラヴィコードを作った人。18世紀の Hubert という製作家の楽器を忠実にモデルにした精巧で美しい楽器を作っていた。Hubert の現存するすべての楽器を克明に描写して記録した本を出版している。今は引っ越して新しいパートナーと素敵な家に住んでいるそうだが、クラヴィコード製作はやめてしまい、時計の分解修理を趣味にしているということ、緻密な作業が好きな彼らしく、微笑ましい。家の屋根裏部屋には天体観測施設も作り付けて、夜は星を見て過ごすのだそうで、本当にいつも人生を楽しんで暮らしている人だ。 日本の古楽ということで、BCJ の話題になり、オランダでも有名で、ヒレスもクールで完璧な演奏を絶賛していた。ただ、テンポがかなり速くどうもついていけないことがある、という点で意見が一致したのは、同門のせいか。そのわれらが師匠バーレント Barend Schuurman はだいぶ前に退職、ロッテルダムのラウレンス教会聖歌隊とアンサンブル Laurens Kantoreiも弟子が引き継ぎ、今は本を書いたりしているらしい。バッハとシュヴァイツァーのことについて著作があるということで、あとでアムステルダムの本屋で探してみよう。 カペラが典礼形式でグレゴリオ聖歌とルネサンスの演奏会をしていることに大変共鳴と理解を示してくれた。それは単なる音楽の演奏ということではなくて、一つの行事、体験となり、まさにそのような音楽が意図していたことを実現しているのだろう、と言ってくれた。演奏会に招待できないのが残念。 ミッデルブルグでの宿泊はアカデミーが斡旋してくれたのだが、何と学生寮。4日間泊まって50ユーロと格安だが、普段学生が使っていて夏休みで留守中の部屋を借りる仕組み。着いてみるとまあ片づいてはいるが、住んでいるそのままの女子学生の部屋で、写真やポスターが壁中に貼り付けてあり、スカートなどが掛かっていて、知人の家の子ども部屋を借りたといった雰囲気。どうも居心地悪いが、仕方ない。本当に寝るだけにしよう。簡易マットは貧弱で、お金出してもホテルにした方が良かったかと後悔。 7月13日(月) いよいよシンポジウムのスタート。テーマは『ジョスカンと卓越』Josquin and the sublime。英語なのでサブライム、と発音するが、オランダ語でもシュプリームといって同じような意味で使う。ジョスカンが特に卓越している点について焦点を絞ろうということで、午前中はそのテーマ、午後のフリー・ペーパーはジョスカンに関する任意のテーマで発表が行われる。1日目はミサについて、2日目はモテットについて、3日目は世俗歌曲について。 朝食が会場に用意されていて、市庁舎の立派なゴシックのホールでチーズパンやコーヒーを頂く。続々と参加者が到着、10年前にプリンストンのシンポジウムに行った時目にした学者さん達が集まっている。ジョスカン研究の新しい方向性が主題だった、その時の主催者ロブ・ウェグマンは、もともとオランダ出身なのに今回は来ないようだ。残念。発表をしたり、パネル・ディスカッションをする招待学者が24人、ほとんどの人が新ジョスカン全集の校訂者。それ以外はたったの4人、それも私以外は皆さん関係者で、どうも一人迷い込んだよそ者のようで、ちょっと恐縮してしまう。もっといろいろな人が傍聴に参加するものとばかり思っていたので、結構驚き。ほとんど広報がされておらず、学生などにとっては参加費が高すぎるせいだろうと、参加者の一人が言っていた。それにしても。 主催者は、去年もレベッカのワークショップでお世話になった、新ジョスカン全集刊行主任のヴィレム・エルダース Willem Elders長老と、ミッデルブルグで教えているアルバート Albert Clement。10年以上前にゼーラントの鍵盤音楽の楽譜を、出版しているこちらの学会に注文したことがあったが、アルバートは、何とそのことを覚えていて、名前を知っているという。私もとっさに、彼の著作で、バッハのオルガン・パルティータに関するとてもおもしろい本を読んだことを思い出し、その話をした。 素晴らしい会議場で学者の一人のように同席して、早口で論文を読み上げる発表に耳をこらすが、人によってはどうもやっとこさ半分ほど理解できる感じ。10年前のプリンストンの時と同じかな、少しは理解が良くなっているかな。発表に対するコメントはわかりやすい場合が多いので、その方がおもしろかったりする。まあ、自分に必要な情報はそれなりに得られてはいると思いますが。 シンポジウム1日目の昼食は主催者のご招待、本当は発表者だけらしいが、それ以外の参加者が少ないので、主催のアルバートが、どうぞご一緒にと言ってくれて、やはり発表しないヴィレム・モックと二人で紛れ込んでレストランでご馳走になる。 午後は主催者エルダース長老のパートナーであるマリアンヌ Marianne Hund のワークショップ、前晩に歌った Calmus Ensemble 相手に、ポリフォニーをどうしたら柔軟に歌えるかといったことを語り、実演するのだが、どうも何が言いたいのかよく理解できず。後半参加者は減ったが、ムジカ・フィクタについて熱弁。マリアンヌは今は亡きアンドレア・フォン・ラム Andrea von Ramm に師事したこともありレベッカとは親しい、ちょっと上の世代の人。ゴシック・ハープの弾き語りは素敵だった。3つ目の演奏会であるディルク Dirk Snellings のグループに1曲だけ飛び入り参加していたが、ちょっとベルカントの名残もある歌い方で、どうもアンサンブルになじまず残念。 このあと、マリアンヌとエルダース氏は何かにつけて私に話しかけてきてくれて、親しくなった。二人は現在フランスの田園地帯に住んでいるという。シンポジウム終了した翌朝に出発直前の彼らの宿に呼んでくれて、ハープを見せて説明してくれた。アイゼナハにオリジナルが残っている1500年前後の楽器の複製だという。マリアンヌが弾いているオリジナルの写真を見せてくれたが、精妙な装飾が施されている。その一部を複製の方にも取り入れてあって、素敵な楽器だった。結局いい知り合いにはなったので、それはそれで良かった。 ワークショップでムジカ・フィクタの例に取り上げた曲がジョスカンのサルヴェ・レジーナだったので、最初にこちらから声をかけた時、カペラでは全く違う解釈で録音して、去年エルダース氏に差し上げたので聴いてみてくれというと、いや、自分の解釈は何ヶ月も考え抜いたもので、これには自信があるというようなことを言って、あまり取り合ってくれなかった。そのことをあとからひどく反省したようで、私に盛んに謝り、お詫びのつもりらしく自分の弾き語りの CD をくれた。別れる時もフランスの家に帰ったらカペラの演奏聴くからと言ってくれたが、ムジカ・フィクタは、どうしてそうしたのか、その説明を聞かないと理解できないものだというのが持論らしい。 この日の夜の演奏会はベルヘン・オプ・ゾーム Bergen op Zoomという街で行われた。みんなで電車で移動、演奏会場である公爵の居城マルキーゼンホフ Markiezenhof では当地の人が出迎えて館を一巡り案内してくれた。夕食も館の中庭に用意してあり、といっても例によってオランダ式サンドイッチとやけに薄い野菜スープだけだが、ありがたく頂戴。ベルヘンはオブレヒトがいた街としても知っていたが、来たのは初めて。中世には堅固な城塞都市だったということでその当時の街のジオラマ模型を見ながらオブレヒトを想う。 館の一室での演奏会は、エギディウス・カルテット Egidius Qaurtet、男性4人のグループで、バスを歌うのは、私の合唱指揮修了演奏会にも出てくれた長身のドナルド Donald Bentvelsen 君。会場の響きは悪く、テノールが急遽別の人に変わったということもあってか、どうも練習不足か音程定まらなく、だいぶ怪しい曲もあり。トップを歌うリーダーのカウンタテナーのペーター・ド・フロート Peter de Groot は本番前にパイプをふかして、声に繊細さを欠いていた。もちろん終演後にはドナルドに挨拶に行くと、すぐに「Tetsuro!」と迎えてくれた。10年以上も会わないのに、みんなよく外人の名前を覚えていてくれるもので、うれしいかぎりです。多分この日に初めて聴いたジョスカンのモテット Ut Phebi radiis はそれなりに力強く説得力のある演奏で、ut, re, mi...をとてもおもしろく聴かせるようになっている曲の作りが効果的で、これは楽しめた。終わった瞬間会場からは歓声混じりの拍手がわくほどだった。曲のおもしろさにのせられて、演奏に思わず勢いがついたのだね。 帰りの電車ではひと車両占領した学者グループが大はしゃぎで盛り上がり、ヴィレム・モックがその様子をおかしがっていた。彼と隣の席で、様々な形態のリュートのことなど話してくれて、興味深かった。何と24台もの楽器を所有していて、そのうち半分は弟子に貸し出しているが、残る12台はすべて違うタイプで、中世から後期バロックまで、それぞれに弾き分けるのだという。さすがにずいぶんと徹底しているものです。 ミッデルブルグに戻り、話し足りない人たちが市庁舎前広場のカフェーでビール。広場にたくさん繰り広げられた椅子とテーブルで心地よく飲めるのは夏のヨーロッパの本当にいいところ。若手学者グループに紛れ込んだが、学界トップレベルの秀才揃いで、それぞれにひと癖もふた癖もあり、学者気質みたいなものもあるようで、年配学者を茶化したり、オックスフォードの裏話をしたり、こちらはどうもついていけない。ユープ始め、オランダ人の若い人達はそのあたり、まるで違和感なく、一緒に盛り上がれるのがちょっとうらやましい。そういえばお世話係をしてくれたミッデルブルグの学生さん達も二十歳そこそこで英語はとても達者、まるで自然体で堂々と英米の大学者を世話していたのにちょっと感心。かつてオランダ留学中、アムステルダムのインターナショナル・スクールで教えた日本人の子ども達は、こんな風に育ったのかな。エルダース氏や、もう一人の長老ヤープ・ファン・ベンテム Jaap van Benthem は、英語はそれなりに堪能だが若者達のようには流暢でなく、とつとつとしゃべり、世代の違いなのかとも思った。まあ、オランダ語でもとつとつとしゃべる人達なので、そういうものなのかもしれない。 というわけで、たまたま隣に座った、若手のまじめそうなドイツ人学者さんと話し込む。ドイツ語だと安心して話せる。最近はハイドンの研究もしているというヴォルフガング Wolfgang Fuhrmann 君はウィーン出身でしばらくベルリンにいたが、今は奥さんの出身地であるスイスのチューリッヒ郊外の小さな街にいるという。好感の持てる青年で、正式な結婚式を今年ウィーンで挙げるのだそうだ。カペラのことを話したら大変興味を持ち、CD を是非聴きたいとのこと。やっぱりたくさん持ってくればよかった。まあ、あとから送れば、交友続けられるかもしれないから、それもそれでいいけど。ふたりでコクのあるおいしいビール Afflighem をおかわり、会計したらそれだけで9ユーロもしたので驚いたけど。 アメリカ人でもお友達になれそうな人もいて、演奏会の休憩中などに話したパトリック Patrick Macey は口をほとんど開けないで話をする、口ひげの紳士。シンポジウム終了の翌日アカデミーのパソコン室にいたら、帰国直前の彼がお別れの挨拶にきてくれた。その機会を捕まえてミラノの典礼のことなど質問したが、時間があったらもっといろいろな話してもらえたかもしれない。まあ、彼に限らず参加者は「ジョスカン業界」では知る人ぞ知る大人物ばかり、カペラの解説のネタになる論文を書いてくれているような人たちばかりです。 つづき
by fons_floris
| 2009-07-29 14:54
| 花井哲郎
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